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We Are Ikuzi-Zu!!
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今回から新しく連載するのは私のお客様でもある神奈川にお住まいの西山さんの
育児エッセイです。お買い上げ頂いてからもお互い「器好き・酒好き」ということで
メ−ルの交換をさせて頂きました。西山さんは3人のお子さんがいらっしゃいますが
ご長男と女の子の双子ちゃん。1人育てるのにもフ−フ−いってる女将としては
尊敬の眼差しです。しかも双子ちゃん出産と同時に御主人が単身赴任されたとか・・・
第2回 いよいよ出産そして・・・
「我が家に双子がやってきた!」 Vol 2
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筆者紹介
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西山 京子 (にしやま きょうこ)
昭和39年生まれ。神奈川県在住。
大学卒業後、某通信関係の会社に就職。
3年半在籍し、社内結婚のため退社。
その後取引先だった外資系の会社でアメリカ人の秘書もどきを1年半務め、
平成3年、長男の出産を機に退社。
当時流行っていたディンクスで頑張るつもりが予定外の妊娠・出産で、そのまま専業主婦に。
4年後、双子の女児を出産。現在長男小学2年生、双子3歳。
キャリア思考はどこへやら、すっかりたくましき3児の母となる。
「歩く姿は小錦関」

4
月に入り、長男は保育園に入園した。初めての集団生活で親としては若干の不安もあったが、
喜んで毎日通園してくれた。私は入園式に出たきりで、送迎も、保育園にかかわる雑事もみんな
母に任せていた。
妊娠9ヶ月に入り、このころ私は最初の妊娠との違いをはっきり感じていた。赤ちゃんはだんだ
んと狭くなってくるおなかの中で、自分の居場所を確保するためにしきりと動き、それまでは二
人とも頭位だったのが、9ヶ月に入ってから一人は逆子になってしまった。(もう痛いのなんの
って!たかが胎動でもハンパじゃない痛さなのだ!!)すでに長男を出産した時の復位をはるか
に上回り、胸のすぐ下からお腹がせり出している。20kg近く体重が増えた私の歩く姿はまさに
小錦だった。
そして、4月の終わり頃、ついに支えなくしては一人で歩けなくなってしまった。再三入院を
勧められながらも、長男と二人で寝起きできるのもあと少し、と思って家で過ごしてきたのだが、
こうなってまでわがままを通すわけにはいかない。健診の後、即刻入院となった。
時はゴールデンウィーク。主人があわててとんできた。
「おなかにマジック」

カ
ーテンでしきられた4人部屋で、おなかの張りをおさえる点滴につながれた私を見て、私の元
気な姿しか知らない主人はひどく驚いていた。長男も一緒にお見舞いには来てくれるのだが、私
のその姿を見ると、すぐに「もう帰る…」と悲しいことを言う。
その頃はもう自分では寝返りが打てない状態で、眠れない日が何日も続いていた。横向きに長く
寝ていると片側に二人の子供の体重がかかって苦しい。かといって仰向けでは呼吸が苦しい。反
対を向こうとしても、おなかが重すぎてなかなか動けない。入院した時点で、二人とも推定体重
が2300g前後だといわれ、2500gくらいになれば生まれてからも安心できるので、それ
まで頑張って持たせようと主治医から言われていた。
毎日、回診の時に胎児の心音をとるのだが、
毎回二人分の心臓の位置を調べるのが面倒だから、と若い看護婦さんにおなかにマジックで×印
を2つ書かれ、全く情けない身体にされてしまった。
「もう、産ませて!」

私
はもうこの状態に耐えきれなくなってきた。最初は全然そんなつもりじゃなかったのに、主
人の顔を見たら、できれば出産に立ち会ってもらいたいと思うようになっていた。主治医に「主
人がこっちにいるうちに産ませてください」と頼んでみたが、「赤ちゃんのことを最優先に考え
よう」と優しい言葉で却下されてしまった。
病院側としては、ゴールデンウィーク中の人手がな
い時に、自然陣痛ならともかく、あえてハイリスクのお産はできない、というのが本当のところ
であることはよくわかっていた。私だって陣痛促進剤の恐ろしさが騒がれている今なら、どんな
につらくてもそんなこと口が裂けても言わないだろう。けれど計画出産も盛んだったあの当時、
そんな知識もなく、ただただ早く産んで楽になりたいという思いが強かった。産んでからも大変
なのだと思ってはいたが、自分の身体がもう限界だった。
そして、ゴールデンウィークの最後の日、双子の出産を見ることなく、主人は「頑張れよ」と言
い残して東京に帰っていった。皮肉なことに、その翌日、いわゆる正期産と言われる37週に入
り、いよいよ私は双子を出産することとなった。
「陣痛が・・・」

当
…日の日記より…
5月8日、入院11日目。朝、9時過ぎに副院長の診察。予定通り、子宮口刺激。
分娩室に移るよう指示され、今日産むことになったと母に連絡。子宮の収縮はまだのようなので
、10時半頃より点滴で促進剤を入れる。
2時頃、母来る。普通は半量くらいで陣痛がくるらしいのだが、1本入れ終わろうとしている
のにまだけろっとしている。院長がきて、一旦退院して自然に陣痛がくるのを待つか、どうして
も今日産みたいならもう1本入れるが、と言われて迷っていると、3時半すぎ、本当に残りわず
かというところで突然お腹が痛みだし、急激に陣痛始まる。
看護婦さんたちがあわただしく集まり、30分しないうちにもう8センチ開大となる。陣痛も
一気に進んで苦しかったけれど、進み具合を見るのに何度も子宮口を探られるのがとても痛い。
経産婦のお産は早いと聞いていたが、陣痛は絶えずくるもののいきみがこない。多胎の場合、子
宮の筋肉が伸びきっているのでどうしても陣痛が微弱になりやすいのだそうだ。
「意識がもうろうとして・・・」

大
輔を保育園に迎えに行く時間が刻々と迫り、母は私の様子と時間の心配で気が気でなさそう
だった。
私は、母、院長、副院長、看護婦さん4人、そして小児科の先生、と総勢8人の前で、苦しみ
もがいていた。大輔の時は初産で、おまけに夜中の陣痛だったので、年輩の助産婦さんと看護婦
さんが1人、何時間かおきにしか見に来てくれなかったのに、さすが双子の出産って体勢も違う
んだな、と変に感心したりする余裕がまだあった。
そのうち陣痛が進み、だんだん意識が朦朧とし始めた。ようやくいきみたくなってきたのに、い
きみの指示がない。ぼんやり映る医師たちの様子もなんか変だ。正気を取り戻し、医師たちの会
話に耳をそばだてると、先にでてくる子(頭位)の足がもう一人(逆子)の足に引っかかって回
旋異常を起こしているという。子供の心音も低下し、テレビでよく見る手術のシーンさながら、
私の口元には酸素マスクがつけられた。
「産まれました!」

枕
元で院長が吸引分娩にしますと言った。大変なことに
なったと思う間もなく、体をひき裂かれるような痛さが全身を駆けめぐり、私はなりふりかまわ
ず大声で叫んでいた。これは前のお産の比じゃない。半狂乱のうちに院長が一人を引っぱり出し
た。赤ん坊の泣き声を遠くに聞いた気がした。続いてすぐさまいきむように言われ、ほとんどや
けくそでふんばると、2人目はわりとすんなり、つるん、という感じででてきた。逆子のままだ
った。1人目は思ったより大きかったので、よけいにでにくかったとあとで聞かされた。吸引器
を入れるときにかなり大きく会陰切開したようで、縫合がこれまたとびあがるほど痛い。
(当日の日記ここまで)
つづく・・・
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