We Are Ikuzi-Zu!!
今回からは私が以前勤めていた会社の同期、永井敦美さんの子育て
話です。彼女はダンナ様が北京に転勤になった別居中にお子さんを産みました。1年間の
育児休職中は北京に渡り、1年後のこの6月、職場復帰のため子供と彼女だけ帰国。もう
バリバリと営業ウ−マンしています。とにかく明るくパワフル、物凄い行動力の持ち主です。
でもね、すごい美人なんです。天って二物を与えるのねえ・・・という感じですが
私が彼女の一番好きなところは「ちゃんと努力する」ところ。これからも頑張ってね!!
「在北京愉快的育嬰」 Vol 1
「で、いつ子供作ろ−か」

思えばもう2年前のこと、わりと突然訪れた同い年の主人の北京駐在。33歳という年齢と
商社勤めという職業柄当然の事とはいえ、正式な内示を前に2人して「う〜ん」と唸ってしまった。
それは、共働き夫婦に生じる、奥さん(私)の仕事をどうするか、とか、単身赴任で大丈夫か、
とかいうフツーの悩みではなく(学生時代からの長い付き合いの私たちは暗黙の了解且つ自明の理
としてそんなことは前から決めていた)、「で、いつ子供つくろーか」、という結構差し迫った問題
だったのだ。
大した理由も無いのだが、私は以前から35歳までに第1子が欲しいと勝手に心に決めていた。
結婚して5年余り続いた楽しいDINKS(今更、死語かしら)暮らしとは決別する決心をし、
有言実行とばかりに会社の新年会の抱負で「今年は家族を増やします!!」と大見得を切った矢先
であった。
「マイレ−ジは東京−北京に」

結論としてはただ「う〜ん」と唸っただけで、主人は慌ただしく内示の2カ月後の96年4月には
(先ずは長期出張の形で)北京へと旅立ち、残された私も日々の仕事に忙殺され、「ま、北京は近いし、
なんとかなるか〜」と生来の楽天的性格を発揮し、初めての別居生活を開始したのであった。
てなわけで、久しぶりに独身(もどき)に戻ってますますどっぷり仕事漬けの日常の合間をぬって、
私の北京通い妻生活がスタートした。主人がせっせと出張で溜め込んだマイレージのポイントを
全て東京−北京に換え(本当はヨーロッパにでも行きたかったのに・・)、ゴールデンウィーク・夏期休暇は勿論3連休ですら、ひたすら北京への機上の人となり、毎月とまでは行かないけれど、3か月に2回というハイペースで主人と私は会っていた。まぁ、それは子づくりのため、というよりは、訪れてみれば結構楽しい北京(中華料理は美味しいし、買い物は安いし)が気に入ったためでもあるけれど。
「天にも昇る嬉しさ!」

そんなこんなで半年が過ぎ、96年秋に妊娠が分かった時はもう天にも昇る嬉しさだった。
子を授かった喜び、の上にこれで会社を続けながら育児休業制度を利用して、堂々と北京で生活でき
るからである。前置きが長くなってしまったが、97年6月無事男の子を出産した私は、3か月健診
が終わるやいなや荷物をまとめて日本を飛び出し、異国の地での子育てをスタートさせたのである。
これから、中国・北京での生活の様子を書いていこうと思う。
「緊張の飛行機」

もう何回となく往復した成田発北京国際空港への旅。でも旅行で訪れるのと、住人になるのとでは気分
も違えば荷物も違う。その上今回は子連れだ。97年9月、緊張の子連れ飛行機の旅で、私の北京生活
は始まった。
そわそわしている私に、「出張の飛行機で近くに赤ちゃん連れがいるとハズレ、って思ってたけど、
自分が赤ちゃん連れて乗るようになるなんてな〜」という主人の感慨深げな、何気ない言葉が追い討
ちをかける。赴任時の席はビジネスクラスなだけに、周りを見渡せばスーツ姿が目立ち、あ〜3時間
泣きっぱなしだったら・・なんてドキンドキン。ただそんな心配は杞憂に過ぎず、スチュワーデスさん
は親切だし、我が長男裕貴(ゆうき)は、離着陸時のおっぱい攻撃に容易く陥落し、要はほとんど寝て
いて難なくクリアーした。
降り立った空港は、あらためて見ると、何て人が多くゴチャゴチャしている
んだろう…
荷物は、当座に必要なもの以外は船便で送ったのだが、育児グッズが不安の種。北京の飲み屋やカラオケ
やゴルフ場には詳しい主人も、育児グッズの何が売っていて何が手に入らないかはとんとわからず、育児
初心者の私も、何が本当に必要でこれから何が必要になってくるのかは手探り状態。でも最後は結局
「なんとかなるか〜」で、テキトーに持って来たのだった。
「駐在員住宅事情」

ここで、北京の駐在員住宅事情をご説明しよう。一昔前まで、外国人は政府の決められた場所にしか住め
なかった中国だが、改革解放路線の確実な歩みで、今や外国人住宅はどんどん建設されている。
新しい公寓(マンション)がオープンしては、熾烈な住民獲得合戦、サービス合戦が繰り広げられ、
付帯施設もプール有りジム有り日本食のレストラン有りと豪華版が多い。
家賃は、物価が日本の
10分の1程度の中国で、外国人にタカっているとしか思えない法外なところが多いのだが、最近ジリジリと値下げしてきているようだ。(とはいえ、日本人専用のところだとワンルームで月30〜40万、80uの2LDKで月50〜70万。やっぱり高いよね。)
私たちが住むことになったのはそういう日本人専用の公寓の一つで、施設内ではどこでも日本語が通じる。敷地内には、日本の食材も売っているスーパー、日本人医師のいる内科・歯科、日本食のレストラン、美容院、幼稚園、学習塾、本屋、プール・ジム・ゴルフレンジ等を備えた体育館、テニスコート、主婦向けカルチャーセンター・・・とまさに至れり尽くせり。
こうして、わくわくどきどきの(筈の)海外生活が、どこから見ても日本社会の住居で始まったのである。
つづく
ワタシorボクの子育て話をみんなに聞いて欲しい!という方はこちらまでメ−ルを!
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